第二分科会

写真提供:福岡市 

タイトル

量子コンピュータの分子科学研究への応用:量子化学計算を中心に


 紹介文


近年、量子力学原理に基づいて動作し、従来型コンピュータの計算能力を凌駕する可能性を持つ量子コンピュータの研究が全世界で盛んに進められています。量子コンピュータは量子力学系のダイナミクスを従来型コンピュータよりも効率的にシミュレートすることができると期待されており、原子・分子内の電子のダイナミクスを扱う量子化学計算は量子コンピュータの格好の計算ターゲットであるといえます。同分野では特に、ノイズの多い中規模の量子コンピュータと従来型コンピュータを併用して量子化学計算を実行するVQE (Variational Quantum Eigensolver)が2014年に提案されたことをきっかけに、研究者人口が一気に増加しました。同分野の進展は目覚ましく、2021年に理論化学会が発表した「夢のテーマアンケート」では、2039年には量子コンピュータによる大規模計算を利用した材料開発が可能になり、2043年には量子化学計算に量子コンピュータが汎用的に使われるようになると予測されています。


ところで、量子コンピュータによる計算高速化を達成するには、単に従来型コンピュータの代わりに量子コンピュータを用いるだけでは不十分です。量子重ね合わせ状態や量子絡み合い状態、量子状態の干渉効果を上手に利用した量子アルゴリズムを使うことで初めて計算高速化への道が拓かれるのです。このため、量子コンピュータの計算原理や特徴を正しく理解することが、分子科学研究に量子コンピュータを応用するための第一歩であるといえます。


本講義の構成は以下のものを予定しています。


(1)    量子コンピュータの基礎(量子ビット、量子ゲート、量子回路、NISQデバイス、エラー低減、量子誤り訂正など)

(2)    量子アルゴリズム(Deutsch–Jozsaアルゴリズム、スワップテスト、量子フーリエ変換など)

(3)    量子化学計算の基礎(変分法、Hartree–Fock法、基底関数展開、電子相関理論など)

(4)    量子位相推定アルゴリズムに基づく量子化学計算(量子ビットハミルトニアン、Trotter分解、波動関数の時間発展のための量子回路構築法など)

(5)    VQEに基づく量子化学計算(各種アンサッツ、励起状態計算法、パラメータシフト則による解析微分計算など)

(6)    断熱量子アルゴリズム、量子アニーリング(断熱状態生成法、量子アニーラー固有ソルバーなど)


これらの話題のほかにも計算複雑性理論、様々な量子化学計算コスト削減法、および量子化学計算以外の量子コンピュータの化学応用例としてタンパク質折り畳み問題にも触れる予定です。


第二分科会担当者コメント

担当:黒田 直也


 第二分科会では、慶応義塾大学の杉﨑研司先生をお招きし、量子コンピュータおよび量子化学計算について、基礎から応用までご教授頂きます。

 杉﨑先生は、量子コンピュータ上で量子化学計算を効率的に実行するための新規量子アルゴリズムの開発に加え、開殻分子の電子構造の理論的解明、ゼロ磁場分裂などスピンハミルトニアンパラメータの量子化学計算といった研究を進められてきました。また、量子コンピュータを用いた量子化学計算に関する教科書『量子コンピュータによる量子化学計算入門』を2020年に単著で出版されています。

 1982年のR. P. Feynmanによる提案に始まり、量子コンピュータの研究は飛躍的に成長してきました。量子化学は、原子・分子における電子の状態を量子力学に基づき記述することで、化学反応機構や電子スピンに関する多くの自然現象を高精度に解析する学問であり、量子コンピュータの典型的な適用対象と考えられています。量子コンピュータを用いた量子化学計算に関する新しい理論・手法が日々提案されています。大規模な量子化学計算には、現在普及している古典コンピュータを用いることが現段階では主流ですが、量子コンピュータが古典コンピュータに代わる日がいずれ訪れるかもしれません。しかし、量子コンピュータに関する研究分野は、現代において急速に発展しつつある非常に目新しい分野であるため、他分野の研究者や初学者にとっては、参入障壁が高いかもしれません。しかし、本分科会では、量子コンピュータと量子化学計算に関する基礎理論から応用に至るまで、教科書の執筆者で最先端の研究を行われている杉﨑先生から直接講義を受けることができ、量子化学計算のための量子回路を自分で組み立てることができるようになります。当分野の研究者はもちろんのこと、当分野に関心を持つ他分野の研究者にとっても、貴重な経験になることと存じます。

 幅広い研究分野からのご参加をお待ちしております。本分科会にて、参加者の方々の研究をより充実させることができますよう、ともに活発な議論を交わせることを楽しみにしております。